暗唱

暗唱

暗唱は、言葉による物の見方感じ方考え方を蓄積することです。しかしもちろん、暗唱以外にも、言葉を蓄積する方法はあります。例えば、たくさんの話を聞くこと、たくさんの本を読むことです。多くの話を聞いたり多くの本を読んだりすることによって同じ文章に触れる機会を増やすことができます。つまり、同じ文章や同じ文脈に何度も触れることによって、理解するための言葉が表現するための言葉になっていくのです。この表現語彙と理解語彙には、大きな違いがあります。例えば、英語を読む力を10とすると、ほとんどの人の英語を書く力は1程度のはずです。誰でも名作を読んで感動することができますが、同じような名作を書ける人はほとんどいません。理解語彙のレベルと表現語彙のレベルは大きく異なるのです。

暗証の方法

消化された表現語彙を蓄積する方法として、日本人は暗唱というやり方があることを知っていました。九九、百人一首、いろはガルタ、素読などは、日本人が開発した教育の方法でした。しかし、この百人一首などに見られるような記憶反復の伝統は、戦後急速に失われ、それまでの記憶や反復の学習に取って代わったものは理解と思考の教育でした。ところが、理解と思考の教育は、一斉指導と結びついていたために教える側の負担が大きく基礎学力の低下を生み出しました。その学力低下を補うものとして、公文式や百ます計算のような記憶反復の方法が登場したのです。しかし、新しい記憶反復の方法は歴史が浅かったために、その方法が万能であるかのような行き過ぎも生み出しました。この記憶反復の方法と理解思考の方法を統合するのが、読書、作文、暗唱を結びつけた学習です。

暗証の目的

暗唱の本当の目的は、記憶ではありません。勉強を進めるための目安として覚えることを目標にしていますが、覚えることそのものは決して重要なことではありません。記憶力を高めることや記憶量を増やすことは、暗唱の副産物にすぎません。この記憶の副産物に関して、世間では、暗記や暗唱を役立つ知識や文化的な伝統に結びつけようとする傾向があります。例えば、「○○の首都は□□」というような知識を増やすような暗記や、平家物語や枕草子の一部を覚えるような暗唱です。

暗証を役立てる

暗唱を表現語彙として役立てようとするのであれば、自分がこれから書く作文に結びつくような現代文の事実文、説明文、意見文を中心に暗唱していく必要があります。

自習真の目的

暗唱の真の目的は、反復練習によって物事を把握する力をつけることです。塙保己一が般若心経約300字を毎日100回ずつ1000日間暗唱し、しかも晩年にいたるまで折に触れて暗唱を続けたということを見てもわかるように、宗教的な面を抜きにすれば、これは決して単なる記憶の練習だったのではありません。将来この暗唱の仕組みが脳科学的に解明されるようになると思いますが、当面は暗唱の目的は、記憶よりも理解や思考の方にあると考えておくことが大事です。事実、大人の人が暗唱を始めると、記憶力がよくなるということよりも、発想が豊かになるという感覚を持つことが多いと思います。ただし、どの学習にもバランスは必要です。言語と経験の間にもバランスというものがあります。ルソーは、子供時代に本を読みすぎて自分が言語先行型の人間になったことへの反省から、自然教育の「エミール」を著しました。体験が伴わない時期に言語を吸収しすぎると、やはりバランスが崩れる場合があります。もちろん体験ばかり広がって言語が伴わない生活はあまり人間的とは言えませんが、言語が経験よりも大きくなることもやはり人間的な成長とは言えません。

自習自習

言葉の森の暗唱の自習は1日10分程度ですから、このようなアンバランスを生み出す心配はありませんが、日常生活の心がけとして、言語的な学習と並行して家の手伝いや自然との触れ合いなど経験の時間を増やしていくことは大事です。

暗唱のコツ

暗唱のコツは、ただ回数をくりかえして音読することだけです。最初は正確に読み、慣れてきたら、できるだけ早口で滑らかに音読した方が早く暗唱できるようになります。暗唱をする時間を、朝ご飯前の10分間などと毎日ほぼ確実にできる時間帯に決めておきましょう。暗唱は覚えることが目的ではありません。文章を自分の体の一部となるようにすることが目的です。歌を歌う練習をするつもりで暗唱していきましょう。課題フォルダの最後の方に、それぞれの月ごとの暗唱用長文が載っています。

思考力を育てる暗唱

記憶や反復や音読や暗唱が、理解や思考と相反するという考えを持つ人がいます。例えば、丸暗記という言葉には、自分で考えない、表面的な知識だけ、というニュアンスがあります。暗唱も、この丸暗記と同じようなものだと考えている人もいます。 しかし、記憶が、思考に対して弊害になるのは、その記憶が徹底していないときです。つまり生兵法の記憶、一夜漬けの記憶のときに記憶が弊害になるのです。消化され自分のものになった記憶は、思考を深める役割があります。例えば、九九というものを考えてみるとわかるように、ほとんどの人は、九九を消化しているので記憶による弊害というものを感じません。しかし、九九を覚えかけているときは、九九を使うことによって実感よりも劣る面が出ていたこともあったのです。

暗唱するメリット

(1)頭がよくなる
思考力の骨組みとなる語彙や考え方が自分のものになるからです。
(2)作文がうまくなる
語彙や文のリズム感などの表現力が自分のものになるからです。
(3)勉強ができるようになる
複雑なものを覚えることが苦にならなくなるからです。

暗唱と寺小屋

寺子屋教育の基本は、百字の文章を百回読むことでした。この勉強法によって日本は当時世界一の識字率を達成していました。(江戸時代の日本の識字率70~80%、同時代のヨーロッパの先進国の識字率20~30%)

暗証と湯川秀樹

湯川秀樹と3人の兄弟は、それぞれ5.6歳から四書五経の素読をさせられました。そして、全員が学者になりました。そのときの勉強法は、論語を漢字のまま意味もわからないまま音読し暗唱するという方法でした。(芳樹(兄、冶金学者、東大教授)、茂樹(兄、歴史学者、京大教授)、環樹(弟、中国文学者、京大名誉教授))しかし、湯川秀樹は後年、素読は役に立ったが、読めないし意味も分からない文章を読むのは苦痛だったと述べています。

暗唱を生かした著名人

暗唱を自分の実際の勉強に生かした著名人には次のような人がいます。

貝原益軒(1630-1714)……
81歳のときに著した「和俗童子訓」で四書五経を毎日百字百回暗唱するという勉強法を提唱しました。益軒の影響は日本全国々に及び、江戸時代の日本の教育の大きな方向を決定しました。暗唱は子供だけでなく、大人にとっても価値があると述べています。
塙保己一(1746-1821)……
盲目でありながら当時日本全国に散らばっていた600冊以上の学術書を編纂するという偉業を成し遂げました。その伝記は、ヘレン・ケラーにも大きな影響を与えました。18歳のとき般若心経を毎日100回1000日間暗唱するという誓いを立て実行しました。また、晩年まで折に触れて暗唱をしていました。
シュリーマン(1822-1890)……
独学で十ヶ国語以上をマスターしトロイアの都を発掘しました。そのときの勉強法が、外国語を辞書にも文法書にも頼らず大声で音読し暗唱するという方法でした。生まれつき弱かった記憶力が、この勉強法で改善したと述べています。
本多静六(1866-1952)……
林学博士。暗唱の勉強法で東京農林学校(今の東大農学部)を首席で卒業しミュンヘン大学経済学博士号を取得しました。大学1年生のとき数学で赤点を取りましたが、一念発起し数学も丸ごと暗唱するという方法で学年トップになりました。子供時代、家の仕事を手伝いながら文章を暗唱するという勉強法をしていました。大学には作文の点数がよくて合格できたと述べています。
野口悠紀雄(1940-)……
経済学者。自身の中学高校時代の経験から英語の勉強法として音読暗唱を提唱しています。高校時代、英語は教科書をただ音読するだけで好成績を維持し東大工学部に合格しました。しかし、そのように単純な方法なのに実践する人が少ないと述べています。